限界を突破して 自分の生きたい人生を手にいれるためのメソッドをお伝えしていきます。

過去の物理学では、超能力(ヒーリング)は、説明できない

きょうは、2月の中旬に、
超0療術師養成講座のコンテンツを
分析してもらうために、

およそ12時間のデータをお渡した



「脳の主人」(発行:南斗書房)
の著者であり
元国立生物学研究所にお勤めだった
東 晃史 博士



から届いた内容を読んでもらおうと思います。






今年は、
過去にとらわれずまったく新しい創造の年になる
という直感から、



春分を過ぎ、4月に入ってから、
地球史上初めて体験する文明開化が起こるような
エネルギーインパクトを感じて、

毎日それが増幅して行っているような気がします。




こんなことを言うと、
単純なスピリチュアルの香りがプンプンしてくる
感じがすると思いますが(笑)




これから、
公開するやりとり(個人に間する内容は削除)を
じっくり読んでもらうと、

その言霊から純度の高い熱量が伝わってくるはずです。




かなりボリュウムにある長文ですが、

あまり内容を理解しようと思考するんじゃなくて、
行間からこちらに伝わる純粋な熱量を感じみて下さい。






4月6日 東博士から小林へ
---

韓国に帰り、
お送り頂いた、USB・メモリーのデータは、
韓国の自宅のパソコンに、保存してあります。


来週の4月11日に、韓国に渡り、
「私のオリジナルの部分だけ の解説
(=超能力のメカニズム論)」

を、仕上げる予定です。


その後、
「小林さんの考え方」を、読ませていただきます。




ただ、
「私のメカニズム論は、科学」であり、
「生命科学の、 意識の構造と機能」ですから、


「超能力の存在の証明では、ない
(=こういうアプローチが、世間の信用を無くしている原因!)」
わけです。





「超能力者の、バーバラ・アン・ブレナン 女史の、
『光の手』(=河出書房新社)は、



超能力を、体得するための入門書」であり、
「実用書である」けれども、


「ブレナン女史は、物理学者であり、NASAの研究者でも、あった」
わけですが、
「過去の物理学では、超能力は、説明できない」

と書いてあるわけです。




一方で、

「超能力者しか、見えない光(=神の光)の状態に関する、
厳密な観察記述が、述べられている」

ので、
「私の理論 は、ブレナン女史の観察・記録を、
普通の人でも、見えるよう に工夫(=私のオリジナル)して、
理論化した内容」です。



特に、
「彼女の観察で、注目すべきは、
あの世に、神の光が湧き 出す、源泉が存在する」

という「特徴」であり、



「同様な視点 は、
日本の超能力者であった、高橋真治(=故人)の観察」
においても、


「あの世には、神の光を放出している、
霊太陽が、見える」


という「指摘がある」ので、

「両者の見解は、全く、 同じ」です。





「この内容は、
自然界の絶対的な倫理を、構築できる基本に成る」
と考えられます。



「現状の生命科学は、分子 生物学」であり、

「物理学(=客体側の観測と分析)の一部」 ですから、



「主体に関する、記述は、持ち込まない」ことが、
「基本哲学」であり、

「生命とは何か?」について、
「回答を 出せない」わけです。

「脳科学も、同じ」なのです。



そこで、
「生命とは、自我」であり、

「自我と情報が、結合す る」
ことで、


「意識が生じる」という「公式が、基本に成っている」
わけです。



「その前提」として、
「遺伝子の自我、細胞 の自我、組織の自我、臓器の自我」
などから、


「個体の自我が、
自然科学的(=数学的に)に、形成される」という内容が、

「フ ァインマンの仮想実験
(=光と物質の不思議な理論;QED(=岩波 書店)」から、

「具体的に、説明されている」わけです。




そこで、

「バーバラ女史の観察結果は、全部、いわゆる、超・ゼロの理論
(=私の呼び方では、”自我の潜在モデル”)に、置き換 える」

ことができるわけです。




だから、
「小林さんは、ブレナン女史の観察結果を基本にして、
ヒーリングの説明を、再構築 する」のが、

「最も、効果的であるように、思われる」わけです。



「生命は自我である」という内容は、
「従来の生物・医学や心 理学などに、革命をもたらす内容」
であり、



「この視点は、科学者が、超能力を理解しなければ、
今後、現状の医学の難題を、
打開・克服する、理論も実験も、企画できない」

という「主張 が、メイン」なのです。




だから、

「理解するための、図解が、中心」であり、
「ヒーラ ーが、世間の人に、メカニズムを理解させる」
のには、


「極めて、効果的である」ために、
「大学の教養学部(=1~2年生) の学生に、この内容を理解させたい」
わけです。




というのは、

「学生が、将来、どの分野(=理系・文系・人工知能)を、専 攻する」
としても、


「それぞれの分野の『理論化』に役立つ」 と考えられます。
それは、
「意識や、自我の、”行動原理”を示 している」からです。




「後期高齢者に成る」と、「想定外の病気に襲われて、計画通りに進まない」
ことが残念です。


多分、「1か月後には、原稿 が、完成する」と思います。
その時に、福岡に来ますので、会えることを楽しみにしています。




ともかく、
「ブレナン女史の 本(=『光の手』)は、読まれるべきである」
ように思います。


「現状では、彼女は、最高レベルの超能力者である」
と思います。



そして、
「高橋真治の教えを参考にして、基本に成るところを、
自己流に、置き換えた」のが、「大川隆法の、幸福の科学」です。

だから、「幸福の科学は、私には、文学に見える」わけで、
「科学には、見えない」わけです。

その意味でも、
「国際的に、 著名である、ブレナン女史を、参考にするべきである」
ように思います。



では、また。

---




この話を受けて、
わたしが数時間前に送った返事が、
以下の内容となります。






4月10日 小林から東博士へ
---

お返事ありがとうございます。

物理世界の二本柱である「空間」と「時間」も、
常識(科学) とは別の姿をしていることについて、



テンプレトン賞を受賞した物理学者のバーナード・デニスパニヤは、

「もういいかげん に現実に対する間違った解釈を捨てて、
画期的で、しかもより 正確な現実を受け入れるべきだ」

と述べています。



この場合の 正確な現実とは、

(「主体に関する、記述は、持ち込まない」 ことが、「基本哲学」である、
「物理学(=客体側の観測と分析)」が、回答を出せない、)
超能力のような意識が、


物理世界を作り出すような現実のことを言いますが、
物理学者たちは、
宇宙は従来の物理法則が当てはまらない場所だということを
知っているはずです。



ただ、
少数ではありますが、

勇気ある物理学者たちが、
自分た ちの世界観が実は間違っているかもしれないと考えはじめています。


個人的にわたしが言えるのは、
「やっとここまで来た か」ということだけです。



人間というものは、
現実をかなりゆがめて解釈しているわけですが、


つまり、
世界を認識する一つ のパターンを確立し、

そのパターンに合致しないものはすべて意識から排除するフィルターを
装備しています。


私たちが取り入れる情報は、
現実すべての情報量のわずか100万分の1パ ーセントの、
そのさらに半分でしかありません。



脳科学的に言えば、
これは、脳内の神経経路ができあがり、いつも通る道が決まると、
もう他の道は通らなくなってしまうからで、


もっとも簡単で単純な神経経路を形成し、
その道ばかりを何度も通ることになるからです。




しかし、
その道から見える 景色だけが現実ではなく、

むしろそれは現実からかけ離れた姿にであって、
同じ道ばかり通っていたら、すべての景色を見ることはできません。


計算上では、世界を全部見るには821年 かかるのに、
3分半で見られる景色だけが全世界だと勘違いしているわけです。



でも、
東さんやバーバラ・アン・ブレナン女子のような物理学者たちは違う考え
を持っています。


量子の世界では、
物事は段 階を踏んで出現せず、瞬時に出現する。

つまり、
何かを意図し たら、意図したのと同時にそれが出現するわけですが、


これこそ
瞬間(超0)ヒーリングにも通じる基本メカニズムにほかなりません。



多くの人たちが自分では、
完全に客観的な立場ですべてを見ていると思っているかもしれませんが、
実際は偏見のフィルターを通したものしか見れていないのです。




このことは、
まさに、「超能力者しか、見えない光(=神の光) の状態」

とは逆に、

私たちが五感を使って見るもの、体験するもの、触れるものは、
すべて「これを見る」「これを体験する」 「これに触れる」

という決断の後に出現しています。
この順番 は絶対に変わりません。



この現実に対して、

いちばん大切なのは、意識を目覚めさせて、
「今ここ」に集中するスキルを磨く ほかないわけですが、


これは、
「自然界の絶対的な倫理を、構 築できる基本に成る」スキル
にも通じます。




ご推奨いただいた、
「ブレナン女史の本(=『光の手』)」を 手にとって感じたのは、


「バーバラ女史の(主体)観察結果は、
全部、いわゆる、超・ゼロの理論

(=私の呼び方では、”自我の潜在モデル”)
で、翻訳する」ための理論構築、



すなわち

「答えは常に一定でなく、確率
(縁起率=エネルギー回転数によっ て生まれる波動干渉=コヒーレンスさ)
によって相互相対的に変化していく様相(諸行無常)」

であることを、



「生命は自我 である」であるという内容から、
再解釈するための原理モデル の必要性です。





それを、
「”非凡の道”として、教育現場へ確立させるための 仕組み作り」
を現在進めている最中です。

具体的に、
その第一弾で、『新世界ヒーラー、セラピスト解体新書』
というレポー トを無料配布し、


そこに集まった一定の能力を保持する
ヒーラー、セラピスト起業家たち向けの教育コミュニティーを通して、


「自我と情報が、結合する」と、「意識が生じる」


という「公式が、基本に成っている」ことを
理解してもらうための場を提供していきたいと考えています。




こちらは、5月12日の引っ越しが済んでから、
福岡に参りますので、
そのときにお身体と原稿を拝見できればと存じます。


お目にかかれるのを楽しみにしております。感謝します。

---




以上が、
往復書簡の中身です。





二人のやりとりは、
2016年の暮れからはじまっているのですが、


なにか、
文明のパラダイムシフトにもかかわるような新しいエネルギーが、
働いていると言えば大げさなように聞こえるかもしれませんが、


わたしの内側では、芸術作品を創りあげていた頃と同じような、
新たな創造のリアリティーとともに新世界講座コミュニティーの
仕組み作りが加速進行して行ってます。




初詣で引いたおみくじに、
「いくさに弓矢を得たるが如し」
と出たわけも納得です(笑)


この⭐︎運勢は、
「いくさの時に弓矢を得るように、
力強い援助の手が差し伸べられるでしょう。」
と書かれていました。




ありがたいことに、東博士をはじめ矢の本数はドンドン増えています。
これからも、
普段から幅広く物事を吸収しようとする姿勢を大切に過ごして参ります。


当然、
ここまで読んでくれてきたあなたも立派な援助者のひとりであることに
違いはありません。


そこでもしこのような内容が興味のある方やヒーラやセラピストの方は、
こちらから二人の往復書簡の全内容を読んでいただくことができます。
http://daizo.hippy.jp/azumaletter.pdf




また、読み終わった感想などいただけるとたいへん嬉しく思います。
勇気を出して行動に移してくれた
あなたも新しい文明を切り開く仲間のひとりとして大歓迎します^ー^
http://goo.gl/ZmmRrK
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人生を変えるということは、いったん戻るということ

※この記事は、2010年12月31日に、
メインブログ「人生を進化させるエネルギーの法則
にて公開したものです。






自分のルーツ


僕が、まだ小学生だった10歳か、11歳の頃に、

当時、NHK海外(アメリカ)特別ドラマで」
「ルーツ」という番組が毎週日曜の晩になると
放送されていました。

確か、2、3ヶ月間の特別放送だったと思います。

家族そろって、黙って神妙に見ていました。



そのドラマに強烈な印象が残っています。


なかでも強く記憶に刻まれたシーンが
ありましてね、


そのシーンは、
精悍な顔立ちをしてバランスが整った体つきをした
黒人の青年が、やしの木に結び付けられた鎖で
足首に鉄輪をかけられて、畑を耕させられている様子
なんです。


その黒人は、もともと強制的に労働を課せられていた
その時代の奴隷階級だったのですが、


その姿を回想しているのは、
その奴隷の子孫である主人公で、


未来の現在では、中産階級に属し、
豊かな暮らしを送ることが出来るようになった
黒人家族の家長です。


子供ごころに、その当時、感じていたことは、
現在と過去のつながりの不思議さだったように
思います。


「奴隷時代という過酷なマイナスエネルギーに
満たされた日常から、
なんで、豊かで幸せな家族に発展したん?」



当時、大阪から祖父の住む父の実家である広島に
越してきた僕の家族のルーツに興味を抱き初めて
いました。


それから、大人になった今では、
ルーツの興味は、小林家から
DNAの解読による人間の祖先にまで
発展しましたが、


いつまで経っても、気になるのは、
自分自身という存在が、
一体どこからやってきて、
どこに向かおうとしているのか?
ということです。


先週末に、岡山から仕事で出張して
僕の生まれ故郷である大阪に行った
話しはしましたが、


仕事が終わったあとに、
宝塚大学に勤めている友人と
ささやかな忘年会をしたんですね、


梅田から歩きながら御堂筋のライトアップを見て、
焼き鳥やで一杯引っ掛けて・・・・、


2時半を回った頃、ようやく店を出て、
その友人がよく利用していたサウナに
歩き好きのその友人といっしょにとぼとぼと
歩いて向かうことにしたんですが、


一時間以上も歩かされて、
付近の様子は、どんどん下町になって
いくんです。


「おい、ここどのあたりだ?
なんか、おしっこの臭いしないか?」

「この当たりは、モラルのない人が多いんで、
そこらじゅうにしちゃうからでしょう。」

そんな会話をしながら、


長屋が続く、その住宅街に
異常な懐かしさを感じつつ、


軒に吊るされてあった
おおきな提灯をふと見ると、
「東成区××組合」
と書かれています。


そして、ふと電柱の住所表示をみると、

大阪市東成区今里2丁目●番地

と書いてあります。


突然、友人に向かって、
「おいおい、オレ
ここの3丁目に住んでいたんだよ」


ちなみに、僕の本籍地は、4歳まで住んでいた
当時の住所のままで今でも、
大阪市東成区大今里3丁目です。


「ここ、オレの生まれ故郷だぞ!おい。」

時刻は、すでに朝の4時を回っていましたが、


確かに、感じたことのある空気感が
そこに存在しています。


そのときは、年甲斐もなく興奮して、
おしっこ臭さもなつかしさに変わって
しまっていました。



それから友人は、こう言いました。
「今日、ここにこうして
まるで引き寄せられるように来たのは、
きっと、何か意味があるんですよ。」


それは、オレの台詞だよと思いながら、

「そうだよな・・・・」

とだけ口にして、感慨にふけっていました。


あんまり、自分だけの幼年時代の感覚に
浸っているのも恥ずかしかったので、


「それにしても。その安サウナまだかよ」


白み始める前の少し明るい藍色の空と
近鉄今里駅を仰ぎながら、そう聞くと、

「次のフセ駅の近くですから、
もうすぐです」


言葉には、出しませんでしたが、
まだ歩かせんの?と思いました。


しかし、不思議と、自分が、
その町を徘徊することに違和感を
感じることはありませんでした。




それでも、
底の薄いカジュアルシューズを
履いていたせいもあって、
踵が痛くてたまりません。


そうりゃそうです、
軽く2時間以上も歩き続けていたのですから。


ちなみにこの友人、梅田から十三まで歩くのは、
日常茶飯事、何しろ、鉄道好きでその沿線を見て
方向を感じながらひたすら歩くのです。



付き合わされて、
大阪中を徒歩でひきずりまわされながら
いつも心の底で、「なんでタクシーを使わん?」
と想っていました。





その後、5時過ぎにサウナに到着して、
予想通りにフロントで

「お客様、5時から6時30分までの入浴は
浴槽清掃のため、ご遠慮願っております」

と言われたときには、
「フっ」と鼻で笑うしかありませんでしたが、

すでにびっしり人で埋まった仮眠室を横目にしながら、
われわれは、自動販売機の前でタオルケットを
下に敷いて浅い眠りについたのでした。





なぜ、こんな話しを長々としたか
と言いますとね、



僕はこれまでの人生を、
この歳でいったん0(ゼロ)に戻したいという願望の
証明として現実に自分の目の前に出現したということを
伝えたかったんです。



お話しした
僕の3時間徒歩の旅は、

自分自身を覆う殻を取り除く旅だったんです。




体をクレンジングすれば汚れが落ちるように、

魂をクレンジングすると、
過去の毒から自分を解き放ち、
本当の自分を取り戻します。
そして自分自身の魂の目的に再びつながる


僕の場合、まるで自己催眠をかけたかのように
何かの力によって、今住んでいる岡山から
何の目的もなく生まれ故郷に辿りついたということが
何を意味しているかと言いますとね、


僕は僕の本質にもう一度結びついて、
内なる魂が求めている真の目的に戻ることが
できたということなんです。


さらに言えば、ほんとうにエネルギーを
必要としているのは、ほんの1箇所、
内なる中心につながっている場所だけ
ということです。


一度でも西洋医学を学んだ人なら
その人の人格というものは、
だいたい12歳くらいまでに完了するとうことを
知っています。


三つ子の魂、百までというのは、
3歳までに晒された環境が、潜在意識に
もっとも影響力があって、
その後の人生を左右する所以からですが、


僕は、実はこの徒歩旅行の前の2年前に
生まれ故郷であるこの町に、誘導されています。

これも、初めからそこに行くという目的があったわけ
ではなく結果的にここがそうだったのか、
というものでした。


言い換えると、
ほんの1箇所の内なる中心とは
3,4歳までの自分にあるじゃないのかな
と考えています。


それが、真我に繋がっている場所であることは、
疑いの余地はなさそうです。


また、そこでは
「自分は決してひとりではない」
ことも実感できます。



何度でも繰り返して、
現実を手放しては新しい現実を受け入れる能力

は、これからの時代で、
とくに必要になってくるでしょう。


そのためには、自分が変わるために、
一度戻る場所=ゼロ地点を感じることが
重要なんです。


自分が知っていることや正しいと想っていることは、
たいてい、ずいぶん前に自分自身で決めた、
自分を成約する考えにすぎません。


その奥から聞こえる
人生の真の目的をかなえたいという魂の声を聞き分け、
その声に従ってみてください。


過去の残骸でできあがった魂を
クレンジングすることで、
高い波動(無限の知恵と聖なる調和)を
さらに受け入れられるようになります。


自分が知っている「自分」は、いわばひとつの
「仮面」です。その仮面の下には金塊が眠っています。
その金塊を見つけたいと想ってさえいれば、
いますぐ輝くことができます。



魂の再生が起こるのは一度だけとは限りません。


次回から、いよいよ
僕のアートクレンジングから進化させた
現在構築されつつあるソウルクレンジングについて、
触れていってみたいと思います。


お楽しみに!

人間が生きることそのものがエゴです。だから・・・・

※この記事は、2010年12月31日に、
メインブログ「人生を進化させるエネルギーの法則
にて公開したものです。






僕が、心理カウンセラーになる以前、
プロの美術作家として活動を始めた頃、

オランダ人画家のゴッホの歴史について
深く学んだことがあります。

彼は、30代になって画家に転身するまで、
もともと敬虔なクリスチャンであり、主に炭鉱町を訪問する宣教師でした。

しかし、彼の説く教えは、日々過酷な労働を強いられる炭鉱夫たちに
歓迎されるどころか、迷惑な存在として扱われていたのです。

その時のゴッホは、無償の愛を与えんとばかりに、
彼らの生活実態からは、説教の内容がほど遠いことに意識を向けることが
できませんでした。

過酷な肉体労働を送る炭鉱夫にとっては、ありがたいキリストの説教よりも、
その日をいかに生き延びるための糧を得ることに生一杯だったのです。


そして、ゴッホは、宣教師としての自分に大きな挫折感を味わいます。


ゴッホは、
「一体、どうすれば、人々を救済することができるのだろう・・・・。」
と真剣に思い悩んでいたことでしょう。

けれども、求めていない人達の前では、いい迷惑に過ぎなかったということです。

確かに、ゴッホにとって、心の救済に毎日を送ることは、
とても充実していたに違いありません。

でも、それは、ゴッホにとってであり、ゴッホだけが行いたいことに過ぎなかったのです。

そのときのゴッホには、まだ「分かって欲しい」という依存心が存在していました。


救済とは純然たる愛であると同時に、救済したいという見返りを求めない本人自身の
欲望でもあったわけです。



ゴッホが天才たる所以は、その後、
たったひとりで、毎日その瞬間を描ききる画家としての生活を始めたことです。

その画家としての生活は、孤独な祈りの日々であり、他者へ何も求めることのできない
孤独な日々であったことでしょう。


僕は、このときのゴッホは間違いなく完全に自然と一体化するという
悟りの境地に入っていたと思います。


そこに、宣教師時代のエゴはなく、万物に感謝できる開かれた意識に到達していたのです。


最後に、彼はピストルで自殺するのですが、
それは愛に包まれた自然死であることに間違いはありません。


しかし、それでも、死にたいという個人的な欲望=エゴが残っているのです。


仏教で自殺を良しとしない理由は、
そこに死にたいという欲望がわずかでも残ることによって、
カルマ=業を完全に燃焼できないままに死を迎えてしまうからです。


そして、そのカルマを再び誰かが背負うことになれば、
その意識波動は次元の上昇を向かえることなくそのまま背負わされた人に
存在することに繋がります。


つまり僕たちは、生きることにも自殺することにもエゴを伴っているわけです。


では、天寿をまっとうする生き方をどのようにして送ればよいのか?


そのためには、エゴを自分自身の感謝する心でもって
その瞬間々に解消していく毎日の生き方を選ぶことが大切です。


エゴを持ち合わせながらも、今ここに存在している瞬間に感謝してみませんか?

絶望ウエルカム



「だからどうなの?」

英語で言うと、
So what ?か



この言葉というのはそれ自体が
ポップアートの生みの親である
アンディウォーホールの哲学だ
(彼の伝記「ぼくの哲学」)


1960年代
ニューヨークの広告業界から、
そのキャリアをスタートさせた
現代アートの天才は、


自分がホモセクシュルであるのを
「世界はそんなもんだ」という絶望
を持って認め、許すことによって、
それを自らアートの源泉とした。



一方
オレはというと30代になって、
彼の様な歴史に残る世界レベルの
芸術家として名を残すのを誓って
アートサーキットに参戦した。


しかし人生をかけたこの挑戦は、
「広島ゆかりの画家」というオマケ
を頂戴したところで、
才能の枯渇という大きな絶望と共に
わずか5年程の活動で筆を置いた。



じつは
安定した大企業の職を投げ捨てて、
芸術に辿り着いたのには訳がある。


18歳まで絵の手解きを受けていたが
真の理由は20代はじめ頃に味わった
生きているのも辛い絶望体験だ。




いらい
人生は絶望を前提にすればいいこと
に気づいた。


絶望からスタートすれば、
あとは希望だけだから。


絶望と向き合いましょう
それしか人生を好転させる方法は
ないのですから。

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