限界を突破して 自分の生きたい人生を手にいれるためのメソッドをお伝えしていきます。

人間が生きることそのものがエゴです。だから・・・・

※この記事は、2010年12月31日に、
メインブログ「人生を進化させるエネルギーの法則
にて公開したものです。






僕が、心理カウンセラーになる以前、
プロの美術作家として活動を始めた頃、

オランダ人画家のゴッホの歴史について
深く学んだことがあります。

彼は、30代になって画家に転身するまで、
もともと敬虔なクリスチャンであり、主に炭鉱町を訪問する宣教師でした。

しかし、彼の説く教えは、日々過酷な労働を強いられる炭鉱夫たちに
歓迎されるどころか、迷惑な存在として扱われていたのです。

その時のゴッホは、無償の愛を与えんとばかりに、
彼らの生活実態からは、説教の内容がほど遠いことに意識を向けることが
できませんでした。

過酷な肉体労働を送る炭鉱夫にとっては、ありがたいキリストの説教よりも、
その日をいかに生き延びるための糧を得ることに生一杯だったのです。


そして、ゴッホは、宣教師としての自分に大きな挫折感を味わいます。


ゴッホは、
「一体、どうすれば、人々を救済することができるのだろう・・・・。」
と真剣に思い悩んでいたことでしょう。

けれども、求めていない人達の前では、いい迷惑に過ぎなかったということです。

確かに、ゴッホにとって、心の救済に毎日を送ることは、
とても充実していたに違いありません。

でも、それは、ゴッホにとってであり、ゴッホだけが行いたいことに過ぎなかったのです。

そのときのゴッホには、まだ「分かって欲しい」という依存心が存在していました。


救済とは純然たる愛であると同時に、救済したいという見返りを求めない本人自身の
欲望でもあったわけです。



ゴッホが天才たる所以は、その後、
たったひとりで、毎日その瞬間を描ききる画家としての生活を始めたことです。

その画家としての生活は、孤独な祈りの日々であり、他者へ何も求めることのできない
孤独な日々であったことでしょう。


僕は、このときのゴッホは間違いなく完全に自然と一体化するという
悟りの境地に入っていたと思います。


そこに、宣教師時代のエゴはなく、万物に感謝できる開かれた意識に到達していたのです。


最後に、彼はピストルで自殺するのですが、
それは愛に包まれた自然死であることに間違いはありません。


しかし、それでも、死にたいという個人的な欲望=エゴが残っているのです。


仏教で自殺を良しとしない理由は、
そこに死にたいという欲望がわずかでも残ることによって、
カルマ=業を完全に燃焼できないままに死を迎えてしまうからです。


そして、そのカルマを再び誰かが背負うことになれば、
その意識波動は次元の上昇を向かえることなくそのまま背負わされた人に
存在することに繋がります。


つまり僕たちは、生きることにも自殺することにもエゴを伴っているわけです。


では、天寿をまっとうする生き方をどのようにして送ればよいのか?


そのためには、エゴを自分自身の感謝する心でもって
その瞬間々に解消していく毎日の生き方を選ぶことが大切です。


エゴを持ち合わせながらも、今ここに存在している瞬間に感謝してみませんか?
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